誰かが

言ってました。
確かに粉がたくさんついたハッピーターンはうまい。
しかし、全てが粉のたくさんついたハッピーターンでいいのだろうか。
味が薄いハッピーターン、所謂アンハッピーターンがあるからこそ、粉の多いハッピーターン、所謂モアハッピーターンの存在が大きくなるんじゃないか。
確かにそうだと思いました。
気圧の差が大きいほど強い風が吹くんです。
スローカーブがあるからストレートの速さが際だつんです。
ギャップが大きいほど心はときめくんです。
ハッピーターンだってきっとそうなんです。
粉だけ単品で用意しろだなんて、それこそ愚の骨頂です。
反省しなければいけませんね。
いや、しかし、ちょっと待てよ。
確かに味の緩急があった方がより美味しさが増すというのはうなずける話です。
しかし、もしもですよ。
最後に残った後一つのハッピーターンがアンハッピーターンだったら?
最後に口にするそれが物足りない薄味だったら?
おそらくおれは絶望するでしょう。
それは世界の終わりでしょう。
赤みのかかった月が昇ります。
まあそんなわけで、ハッピーターンの粉に関する議論はまたスタート地点に戻ってしまいました。