良い記事があったので久々にヤフーニュースより転載。

オーバーワークだった摂津 開幕投手の重圧…腰耐えきれず

◇野球人 ソフトバンク摂津正

 光には影が付きものだ。沢村賞の栄光の裏でソフトバンク・摂津は腰痛と闘い続けた。初の開幕投手へ仕上げの段階だった昨年3月15日のオープン戦・楽天戦(倉敷)。それまで抱えていた違和感は激痛に変わった。5回1失点にまとめたものの、そのまま、とんぼ返りで福岡市内の病院でエックス線検査を受けた。背中を押さえつけただけで痛みが走った。腰を曲げることさえ、困難な状態だった。

 「オープン戦は序盤から腰の辺りに張りのような違和感はありました。それが楽天戦で突然、力が入らなくなった。あの時点で投げることに対し、怖さがあった」

 祈るような気持ちで整体治療院に通った。3日で症状は軽減されたものの、いつ、再発するか分からない爆弾を抱えた。首脳陣はベテランの新垣に万が一の場合、開幕投手を任せると伝えたほどだ。だが、摂津は誰も踏んでいない真っ白のプレートにかじりつく。「無理をしないという選択肢はありましたけど、投げない影響は大きい」。11年に合計43勝を挙げた杉内、和田、ホールトンの3本が抜けた昨季、心の底から湧き上がる責任感が、良くも悪くも背番号50を駆り立てていた。

 痛みの原因は分かっていた。開幕投手を宿命づけられたシーズンは、例年より力が入った。「春先のトレーニングをやりすぎた。ウエートとランニングの量を増やしたことが、オーバーワークになった」。先発転向した11年以降、自主トレをともにする馬原(オリックスに移籍)のアドバイスを受け、1年間投げる体力を維持するためシーズン中の筋力トレーニングを取り入れてきたが、それさえ不可能だった。貯金を切り崩すように投げていく。だが、次第に納得いく球は行かなくなった。

 折れそうになる心を支えたのは、高山投手コーチが耳元でささやき続けた言葉だった。「必要以上に責任を背負わないようにしろ。秋山監督も同じ意見だ」。さらなる追い風は8月1日の楽天戦だった。故郷・秋田での凱旋登板を完封で飾ると、そのまま8連勝。不安を抱えたまま、とうとう勝ち星は17勝まで積み上がっていた。

 白星は最高の良薬だ。少しずつ、自分を取り戻したエースの状態はクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第3戦(札幌ドーム)で最高潮に達した。第1球を投じた瞬間、確信に似た手応えはあった。ただ野球の神様が用意したエピローグはあまりに残酷だった。

そういえば、去年の開幕前にはケガで開幕戦を回避するんじゃないかって話もありましたね。
しかし、なんだかんだで開幕投手を勤め上げ、見事に勝ち星を挙げました。
その後も順調に勝ち続け、気づけば沢村賞
ケガの事なんて全く忘れていましたね。
確かに、入団してから今まで、フル回転もフル回転。
投げ続けているからと言って、ケガが治っているなんて事はないですよね。
痛みと戦いながらもそれを感じさせる事は無く、エースとしての姿を見せ続けた摂津。
すごい選手であることは知ってましたが、それ以上にとんでもない選手でした。
例え漢字が読めなくても、摂津は輝きは失われませんよ。
とにかく、そんな事を教えてくれたこの記事に感謝です。
ありがとう!スポニチ
おれはホークスファンとしてはまだまだですな!