ボウズであり、角刈りの人をみた。

そんな人見ました。
ボウズの人だったんです。
まあ、スキンヘッドまではいきませんがそれなりのボウズです。
彼が何かの罪を犯し逃走した時に、目撃者としての我々が警察に彼の特徴をいわなければいけないということになれば、まずボウズであるという事を誰もが言うでしょう。
それほど、間違いのないボウズです。
しかし、その人は角刈りでもあるのです。
ボウズなんですが、角刈りでもあるんです。
どういう事かというと、その人の姿を正面からとらえて眺めてみると、あら不思議、角刈りじゃないですか。
しかし、やはりその人はボウズなんです。
ただ、その頭の形、シルエットがそう見せるんです。
言ってみれば、角刈りに見えるほど四角い頭をしているということです。
それを見ておれは、彼に同情するしかありませんでした。
だって、おれもおそらくそうなんです。
そんな感じなんです。
頭を触る度に戦慄を覚えます。
おれが思い切って髪を短くできない理由がまさにこれです。
遺伝的な事で親を恨むことなんて最早しません。
しかし、おれがまだ頭が柔らかい赤子の頃に、もう少し気を使って抱いてくれればこんな頭にならずにすんだのに、そう恨みを持つことも少しはあります。
彼の姿を見ながら、そんな事を考え同情してたんです。
しかし、ふと違和感を覚えました。
おれが彼に対して同情しているという事実、それは彼の四角さが判明しているからなんです。
判明しているということは、彼はその四角さを包み隠さずさらけ出しているんです。
そこには羞恥もなにもないのです。
それは、おれとは全く違うという事です。
からしてみれば、おれが抱く同情の念などいらんお世話なのです。
おれに彼を同情する四角、いや資格なんて最初からなかったのです。
それに気づいた瞬間、おれは彼に謝りたい気持ちになりました。
しかし、それも不要な事です。
「何も君が僕の頭の事で思い悩むことはないんだよ。元気だしなよ、ブラザー。」
右角がそう告げているような気がしました。
そして、おれは根拠のない勇気をもらい、同時に晴れやかな気持ちになったのでした。
そんなある日の午後でした。
おしまい。